日光山内紀行(二荒山神社)
二荒山神社の歴史は、霊峰補陀洛山(二荒山)(男体山)を信仰の対象とした山岳信仰をその源とし、今からおよそ1200年以上前の奈良時代、日光開山の祖「勝道上人」が、二荒山登頂の志を立て、大谷川を渡って、川の北岸の地に四本竜寺を建てたころまでさかのぼることができます。
四本竜寺(右の写真)は、大谷川を渡った勝道上人が、始めて草庵を結んだ日光発祥の地で、勝道上人が礼拝していると、「紫雲石」から紫雲が立ちのぼり、そこに青龍・朱雀・白虎・玄武が現れたという伝説があります。現在の輪王寺の発祥の地でもあります。
苦しい修行を積んだ勝道上人は、782年に二荒山登頂を果たし、山頂に小さな祠(奥宮)を祀りました。その後、784年に、中禅寺湖の北岸に日光山権現(中宮祠)と中善寺(立木観音)を祀りました。
そして790年に、二荒山の神霊を祀るために本宮神社(本宮)(右の写真)を建てたのが二荒山神社のはじまりとされています。本宮神社は、二荒山神社発祥の地とされています。その後、大谷川の洪水などの災害を避けるために現在の場所に移ったそうです。今現在私たちが二荒山神社として参拝している社殿は、この「本宮」に対して「新宮」と呼ばれています。
何故、勝道上人はお坊さんなのに神を祀るのでしょうか?ちょっと分かりづらいのですが、日光山はもともと神仏習合により神社もお寺も本来一体のものだったのです。それが、明治時代の神仏分離令によって現在のような形で寺社が分立したわけです。つまり、男体山は大己貴命という神であり、千手観音という仏なのです。難しいですよね・・・・・。
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