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December 2007

2007.12.31

2007年登り納めー晃石山ー

 年末・年始の休みに入ってから、頭上で寒気と暖気がせめぎあい、雷や雹まで降る悪天候のため、ずっ~と自宅に引きこもっていたのですが、久々にスカッと晴れ渡った空の下、2007年の登り納めということで、太平山系の晃石山へ出かけてきました。
 今日は麓の「ぶどう団地」から、晃石山の全景を撮ってみました。
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 太平山系全体を撮りたくて、山麓から20分ぐらい離れたところでもパチリ。
 この山々が隊長のトレーニング場です。
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 大晦日だというのに山へ歩きに来ている人がいるもんですネ。途中で何人かのトッレッカーと遭遇しました。

 今年一年、なんとか無事に過ごすことができたことへの感謝の気持ちを込めて、トレイル途中にある清水寺・晃石山神社・晃石山山頂の祠へ、それぞれ参拝。
 晃石山山頂の祠です。
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 うむぅ~それにしても、山の中を歩く(走る)のは気持ちイイ~!

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2007.12.23

久しぶりに奥日光です

 22日(土)の夜から23日(日)未明にかけての天候に、結構雪が積もったかなぁ~とワクワクしながら、スノーシューを車に積み込んで奥日光を目指したのですが・・・・・男体山も御覧の通りで、残念ながらスノーシューをはくほど雪がありませんでした。
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Img_9706  でも、一歩森の中に踏み込むと、水分をだいぶ含んだ重い雪ですが、しっかりと積もっており(根雪になりますね)、ハイブリッドバスが走っていた千手ヶ浜への市道1002号線(一般車通行禁止)も右の画像のとおりです。

 湯川も、まるで白と黒の水墨画の世界のよう。
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 小田代ヶ原は、もっと沢山雪が積もらないと、美しくなぁ~い。
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Img_9715  雪が少ないといっても、湯元方面まで行くとしっかりと積もっているし、湯ノ湖も氷結が進んでいます。やっぱり奥日光の冬は厳しいなぁ~。  

ということで、最後に、小田代ヶ原の休憩所で作った本格的?な「雪だるま」を紹介します。
 この雪だるま君、来年の春まで消えずに生き残ってくれるかなぁ~。
 今後、この雪だるま君がどうなっていくのか、追跡してみたいと考えています。
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2007.12.17

「ある沖縄戦」 儀同保 著

Img_9682  今、儀同保著「ある沖縄戦」(慶良間戦記)日本図書センター刊を読んでいます。
 太平洋戦争末期、沖縄慶良間諸島にある阿嘉島・慶留間島にいた陸軍・海上挺進第二戦隊の生存者が、自らの沖縄戦を記録したドキュメンタリーです。
 
 是非、一読を勧めます。

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2007.12.16

諏訪岳(中村富士)

 最近、栃木県南部の低山へトレーニングをかねて出かけるのが日課のようになっていますが、今日も諏訪岳(標高324メートル)へ登ってきました。
 
Img_9628  岩舟町側にある村桧神社から入って山頂を目指しますが、葉を落とした広葉樹の森は明るく見通しも利き、村桧神社から少し登った休憩所(ベンチあり)の奥からは、東側に東北自動車道と太平連山が一望できました。

 また、これから目指す諏訪岳の端正な山容も間近に仰ぎ見ることができます。
 木々が葉を落とした冬の時期は、春から秋の山とは違った姿が見られるので楽しみです。
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 山頂へは急な坂を直登しなければなりませんが、これが良いトレーニングになります。落ち葉で埋まったトレイルは滑りやすく、木々につかまりながら登っていきます。

Img_9645  山頂は狭いものの、北と西側の眺望が良く、北には日光連山が、そして南西には尾根でつながっている唐沢山を見ることができます。

 諏訪岳山頂北側からの眺望です。遠くに雪化粧した日光連山を見ることができます。
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Img_9657  山頂から京路戸峠方面へ下山し、途中の分岐を村桧神社へもどります。途中、南側に三かも山が一望できました。

Img_9666  村桧神社と大慈寺の分岐を、暗い杉林の中を大慈寺方面へ降りていきます。杉林を抜けると黒岩山へ出ます。
 黒岩山山頂には、1736年に建てられた塔があり、慈覚大師円仁の座禅修行の場とされ、大慈寺の奥の院になっています。

Img_9677 この黒岩山を過ぎると、まもなく大慈寺へ到着です。1853年に再建された慈覚大師堂があり、その彫刻などは当時を代表するものとされています。

 ところで、諏訪岳という山名ですが、伝教大師最澄が信州諏訪大社の分霊を祭祀したことによると言われています。ただ、地元の人からは中村富士と呼ばれています。

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2007.12.15

昭和20年3月26日

 昭和20年3月26日・・・・・
 アメリカ軍が慶良間諸島に上陸を開始した日です。
 いわゆる「沖縄戦」が開始された日です。

 次の画像を見比べてみてください。
Akarocko
 昭和20年3月26日(「【変わりゆく沖縄の戦場】より)
 阿嘉島の前浜付近にアメリカ軍が上陸しました。
 遠くにサクバルの奇岩群が見えます。

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 平成19年12月10日
 阿嘉島の前浜の漁港です。
 サクバルの奇岩群だけは変わっていないようです。

 沖縄戦(阿嘉島での戦い)に興味がある人は次のページをのぞいて見てください。

 阿嘉島・慶留間島の戦闘(海上挺進第2戦隊)

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2007.12.14

阿嘉島クシバルビーチで?

 またまた阿嘉島の話ですが・・・・・
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 島の西側にクシバルビーチという小さな海岸があります。小さいながらとても美しい海岸です。阿嘉島で最も知られているニシハマビーチのちょうど裏側にあたります。
 この海岸でちょっと不思議なものを発見です。
 海岸の砂浜に大きいのやら小さいのやら無数の穴があいているのです。

 これはヤドカリかカニの巣穴だろうと思って掘り進めていくと・・・・・
Kani001
 出てきたのは、やっぱりカニでした。

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2007.12.13

幻の奇樹 ウシーガジュマル

 前回紹介した阿嘉島の巨木のことですが、詳しいことがわかったので報告します・・・
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 阿嘉島の北側に位置する「大岳」山中にある一本の太いガジュマルの木で、直径40メートルにわたってぐるりと手を広げるように枝が囲んでいる珍しいものです。その枝からは太さ10センチ程度の気根が無数にたれ下がり、ただならぬ雰囲気を持っています。上の画像ですが、これで一本の木なのです。下の写真と見比べて、その大きさも感じてください。

Img_9514  地元では「ウシーガジュマル」と呼ばれ、その存在は伝えられていたそうですが、山中の草木が生い茂る場所にあるため人目にはさらされていなかったようです。現在は、周囲の草木は刈られて、明るい雰囲気になっています。
 
 戦争を生きのびたガジュマルの大木「ウシーガジュマル」、島のシンボルです。

 「9月17日 琉球新報」の記事に詳しく載っています。 

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2007.12.12

慶良間諸島 阿嘉島紀行(Part3)

 阿嘉島には、珊瑚礁をはじめとして、貴重な自然資源が豊富に残っています。
 本当ならば、ここでダイビングやシュノーケリングの画像を紹介したいのですが・・・・・残念です。一枚も撮ってないのです。

Img_9483 そこで、まずビーチです。
 島の北側にあるニシバマビーチが知られていますが、白い砂浜と透きとおった海、青い空の典型のようなビーチがいたるところに隠れています。
 右の画像は、天城(アマグスク)展望台のすぐ下にある「ヒズシビーチ」です。とても小さな浜なで、まるでプライベートビーチのようです。
 島の西側に位置しているので、夕日がとても綺麗に見られる場所でもあります。集落から歩いていけますヨ。

 海岸では、天然記念物の「オカヤドカリ」にも遭遇です。
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 そして、クシバルビーチです。このビーチも小さな浜ですが、とても雰囲気のよい所です。ただ、このクシバルに行くには島中央の山間部の林道を抜けなくてはならないため、車が必要かなぁ。あえて自転車でのツーリングを兼ねるのもおもしろいかもしれませんね。
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 今はシーズンオフなので、だれもビーチを訪れる人などいません。
 一人静かに、海岸の巨岩の上に横になって空を見上げていると・・・・・
 イヤ~どうでもイイカァー

Img_9505  阿嘉島は美しい海だけではありません。島全体が森林に覆われており、その中には国指定天然記念物の「慶良間鹿(ケラマジカ)」が生息しています。
 この鹿は、今から300年以上前に鹿児島から運ばれたニホンジカが島の環境に適応して小型化し、体色が全体的に黒っぽくなったもので、斑点模様がはっきり見えることがありません。慶良間諸島の阿嘉島・慶留間島・外地島・屋嘉比島(無人島)の4島におよそ200頭が生息しているといわれています。

 また、島の中央部の山地には、様々な巨木があるようです。
 今回、島の人に連れて行ってもらったのですが、林道に車を停め、南方特有のジャングルの中を進むと、つい最近発見されたばかりの巨木がありました。この巨木が発見された時は新聞にも載ったようです。

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 名前を教えてもらったのですが忘れてしまいました。うぅ~なんだっけ?
 誰か教えてください。

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2007.12.11

慶良間諸島 阿嘉島紀行(Part2)

Img_9443  さて、阿嘉島の様子ですが、とにかくとてものんびりした雰囲気の島です。
 散策がてらに集落を歩いてみたのですが、すべて歩き回れる範囲におさまるほどの小さな漁村です。集落は港に隣接してここだけしかありません。信号はありません。郵便局はありますが警察はありません。診療所はあるのですが、医師は常駐していません。それでも集落の北側に幼稚園・小学校・中学校が一体となった施設がありました。

 沖縄の離島ということで、独特の集落風景を期待していたのですが、日本離れした風景は意外なほど少なかったなぁ~。

Img_9458  しかし、民家の入口には必ずシーサーが置いてあるし・・・・・。

Img_9457  沖縄らしい古民家も発見しました。
Img_9502 赤煉瓦と漆喰、そしてシーサーというこの家は、今は「バーヨナミネハウス」として再利用されています。夜の7時からの営業で、純粋にお酒を楽しむのにはイイお店です。泡盛や古酒をベースにしたカクテルなどが人気のようです。

Img_9482  集落の北側には、「ウルンの木」と呼ばれるアカテツの巨木が立っています。なんでも樹齢400年以上にもなる大木で、沖縄県最大のものだそうです。村の文化財に指定されています。

Img_9467  島唯一の食堂「パーラーみやま」は、漁港のすぐ横の海岸沿いに立っているため、透きとおった海をみながら手軽な食事を楽しむことができます。ソーキそばです。

Img_9464  また幾つかの「拝所」も見つけました。神社のようでありながら、神社とはちょっと違う雰囲気をもっています。海の神の信仰なのでしょうか。

 移動の手段ですが、当然レンタカーなんてありませんから、自分の足で歩くか、自転車を借りるしかありません。

 

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2007.12.10

慶良間諸島 阿嘉島紀行(Part1)

Img_9459  沖縄本島那覇市の西方およそ40キロの東シナ海上に浮かぶ阿嘉島へ行ってきました。
 慶良間諸島の中で、ただ4島しかない有人島(渡嘉敷島・座間味島・阿嘉島・慶留間島)の一つで、座間味島の南に位置するとても静かな離島です。
 沖縄でも有数の透明度を誇る海は、ダイビングやシュノーケリング、そして1月から3月はホエールウォッチングのスポットとしても人気が高く、シーズン(6月~9月)ともなると多くのダイバーたちで賑わいます。
 また、島のほとんどが森林に覆われており、森の中には国の天然記念物に指定されている「慶良間鹿」(阿嘉鹿)が生息、海岸では同じく国の天然記念物の「オオヤドカリ」などが多数見られるなど自然環境豊かなところです。

 この阿嘉島へ向かうには、那覇泊港から船に乗って行くのが一般的なようです。飛行機もあるのですが、季節運行で、ちょうど隊長が行ったときは運行されていませんでした。
 那覇と阿嘉を結ぶ連絡手段ですが、「フェリーざまみ」が一日一便で所要時間90分、「高速船クィーンざまみⅢ」が一日一便で50分となっています。

Img_9537  さて、阿嘉島の説明はこれくらいにして、旅のほうはというと・・・・・
 ヒトとクルマとビルディングという那覇の喧騒から抜け出し、ゆったりとした心持ちで高速艇から東シナ海の眺めに見とれていると、あっという間に座間味島へ寄港です。座間味から阿嘉島はもう目と鼻の先、阿嘉港へ着くと最初に目に飛び込んでくるのが阿嘉島と慶留間島を結ぶ「あか大橋」です。離島というイメージから、かけ離れたこの巨大な橋がお出迎えしてくれます。

Img_9536  小さいながら近代的なフェリーターミナルに到着すると、宿の人が出迎に来てくれています。ちょうど学生集団(修学旅行?)と一緒になったのですが、驚いたことに、学生さんたちが、軽トラックの荷台に乗せられて運ばれていきました。ビックリです。
 
 すぐに「あか大橋」に行ってみました。橋からの眺めはすばらしく、青い海に青い空、そして白い砂浜という、南国のイメージそのままの景観です。橋の上からは、阿嘉の漁港、そして遠くには「サクバルの奇岩群」が一望できます。
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Img_9451  この後、阿嘉島での宿となる「ペンション シードルン」へ向かいました。港から歩いて数分の距離です。
 この「シードルン」は、阿嘉島で唯一のペンションで、オーナーは島の観光協会の会長をつとめているそうです。
 

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2007.12.08

唐沢山から高鳥山へ

Img_9367  佐野市東部に位置し、ムカデ退治伝説や天慶の乱を平定した藤原秀郷の居城として知られる唐沢山(標高241メートル)へ登ってきました。

 ここは山頂一帯が城跡となっており、多くの石垣や城の遺跡など当時をしのぶ遺跡が数多く残っており、本丸跡には唐沢神社が祀られています。
 ちょうど唐沢山神社周辺の紅葉が見頃で、紅葉を愛でながらの城趾巡りを楽しむことができました。

 本当は麓から登ろうとしたのですが、山道入口の駐車場に車を停めることができなかったため、唐沢神社前のレストハウスからの出発です。

Img_9372  天狗岩(物見岩)を過ぎ、鳥居(上の画像)を抜け、から堀に架けられた神橋(右画像)を渡ると、まるで小京都のような雰囲気の小径が続きます。

 この神橋からの小径沿いの谷側の紅葉がみごとでした。

Img_9381  苔むした昔のままの石垣と赤や黄に色づいた木々が絶妙なバランスで、美しい秋の景観を作り出しています。

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Img_9400  京都の小径さながらのコースを登っていくと社務所へとでます。社務所前から石段が続き、その石段を登りつめると本丸跡にでます。現在は唐沢山神社が建立され、藤原秀郷が祀られています。神社が建立されたのは意外にも明治初期のことで、藤原秀郷の子孫である佐野氏などの縁故の人々の手によるとのことです。

Img_9421  城跡巡りは十分に楽しめたのですが、これではトレーニングにならない。そこで、唐沢山の北にそびえている山へ登ってみることにしました。案内図にも名前がなく、あまりに急なトレイルに驚きながら、それでも山頂に立つと、「高鳥山」(標高290メートル)という案内板と三角点がちゃんとありました。

Img_9373  ところで、唐沢山城跡入口で見つけた「りゅうきんくつ」です。漢字でどのように書くのか忘れてしまいましたが、竹筒から聞こえる清々しく澄んだ音にザラついた心が癒されます。おすすめです。

 次回は、唐沢山から諏訪岳までの尾根路を縦走しようと思います。

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2007.12.01

太平山(晃石山から馬不入山へ)

Img_9314  太平山は、栃木県南部に位置し、栃木市・大平町・岩舟町にかけて連なる低山帯で、東から太平山(標高346メートル)、晃石山(標高419メートル)、馬不入山(標高345メートル)と並び、稜線はさらに西に大明神山、南には岩舟山へと続いています。
Img_9315  この一帯は、太平山県立自然公園に指定され、登山道も整備された四季折々の景観を楽しみながら手軽にトレッキングのできる名山です。
Img_9316  その山域には、太平山神社・大中寺・清水寺などの社寺を抱え、地元では古くから信仰の山として親しまれており、それぞれが登山口ともなっています。

 最近、この太平山へトレーニング目的で通うことが多くなりました。その主な理由は、早起きをしなくてすむことと、コースが多彩なこと、そしてアップダウンがかなりありトレーニングには最適なことでしょうか。「午後からちょっと時間があるから登ってこようか」という手軽さで、たっぷりと汗をかくことが可能な山なのです。

 そしてこの時期、里の低山では紅葉が盛りで、赤や黄に色づいた木々を楽しむことができます。なんと言ってもうれしいのは、ほとんど訪れる人がいなくなることです。

 ということで、「太平山」について解説してしまいましたが、今日も太平山で午後からトレーニングしてきました。コースは、清水寺から晃石山へ一気に登り、山頂から桜峠へ降りて、また馬不入山へ登り、桜峠へ戻って清水寺へ帰ってくるコースです。ゆっくり歩いても3時間はかかりません。

Img_9317 まず登山口になる清水寺ですが、銀杏の黄や楓の赤が華やかな彩りを見せてくれるなか、道標にしたがって晃石山へのトレイルに入ります。アキレス腱が伸びるのを感じながら急登すること45分程度で晃石神社へ到着です。あまり人が通らないコースのようで、トレイル一面に落ち葉がしきつめられ、ドングリが散らばり、滑りやすくてとても危険でした。

Img_9321  晃石神社から晃石山山頂へは、神社右手からの登山道を上ること数分です。右画像は晃石神社です。

Img_9322  山頂には鳥居と小さな祠が祀られていますが、北西方面が開け、眼下には数多くのゴルフコースが眺められます。あまり広くはありません。

Img_9324  山頂からの眺望です。

Img_9331   山頂から大小幾つかのピークを越え、最後に急な石段を下ると標高275メートル地点にある桜峠へ出ます。休憩できる小屋と、幾つかのベンチが整備されています。
 桜峠の名前の由来は、山桜の巨木が多いところからきているようです。

 この桜峠から馬不入山へのピストンは、前回のブログで紹介した通りですので割愛します。
 それにしても、太平山はよい山ですね。

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