三斗小屋宿跡へ
会津中街道の難所、歴史のロマンを秘めた三斗小屋宿跡を訪れた。
沼原湿原から麦飯坂を下り、湯川を渡り、三斗小屋宿跡へ至るこのコースは、トチノキなどの瑞々しい新緑の中、誰とも会わず、野鳥の声と沢の音、風の音だけが聞こえてくる素晴らしいコースで、時折熊の気配を感じながら山の懐深くを心地よく歩くことができる。
三斗小屋宿は、1695年、会津藩により、会津と氏家を結ぶ会津中街道の宿として設けられ、北の大峠、南の麦飯坂の間に位置し、一帯は街道の難所となっていた。江戸末期には白湯山信仰の拠点として栄え、今なお、寄進された常夜灯や石仏、大鳥居などが残っている。
1868年、戊辰戦争の際には、会津藩(旧幕府軍)が駐屯し、新政府軍との激戦の地となった。
1957年(昭和32年)に、最後の一戸が転出し、無人の地となったが、今も関係者によって手入れされている。
沼原湿原駐車場は、だだっ広い未舗装の広場的な駐車場で、トイレが整備されている。
その駐車場の北西に、沼原湿原への登山口がある。(上の写真)
整備されているような、されていないようなトレイルを下っていくと沼原湿原へ出る。
湿原を周遊できるよう木道が整備されている。
まずは湿原を歩く。
三斗小屋宿跡へ
沼原湿原を離れ、三斗小屋宿へ向かう。
しばらくは平坦な道を進む。
この沓石観音は、首を傾け微笑んでいるように見える。
ここから「麦飯坂」の九十九折りの下りとなる。
新緑の中を歩く
途中の石仏
沼原湿原駐車場に「大雨による増水のため湯川にかかる丸太橋が流出し通行できません(令和4年6月)」とあったので不安だったが、湯川も仮橋のおかげで無地渡ることができた。
湯川を渡り、急坂のしばらく登り返すと、深山湖と三斗小屋宿跡との分岐となる。
この林道は、三斗小屋温泉の人たちが車で往来しているらしい。
林道を進むと苔むした石仏などがならぶ墓地へ出る。
なんでも、戊辰戦争で亡くなった方々の墓所らしい。
三斗小屋宿跡へ到着。広々と開放的な場所だ。
比較的手入れがされている。
江戸時代末期、白湯山信仰の拠点として握ったようで、白湯山へ向かって大鳥居が建っている。
白湯山信仰とは、茶臼岳八合目付近の西側に面した斜面に、温泉の湧出源があり、そこを信仰の対象として白湯山とし、山岳修験の霊場とした。往時は多くの参拝者で賑わったようだ。
また、宿内には「山之神社」が祀られている。
近年、地元ボランティアの方々によって復興されたようだ。
祠の裏手にはギンランが咲いていた。
白湯山神社の社務所跡地には、鳥居が建てられている。
さらに北へ進むと大峠と三斗小屋温泉への分岐となる。
大峠への道は先細りとなりヤブに埋もれている。
三斗小屋温泉への分岐を下ると「那珂川源流」へと出る。
本日は、三斗小屋温泉へは行かずに、ここで引き返すこととした。
辺り一帯には春ゼミの「ジッー」という鳴声だけが響き渡っている。
湯川に架かる仮のパイプ橋を渡り・・・
麦飯坂を登り・・・
沼原湿原駐車場へ戻る。
およそ4時間程の、気持ちの良い山歩きだった。
今度は、是非、三斗小屋温泉を周遊してみたい。